その後、二代目豊次郎、三代目利一と受け継がれ事業は拡大し、昭和初期には小倉市、門司市(現、北九州市)の支店をはじめ日本全国に宇治茶を販売していました。また、中国大陸の大連、釜山、台湾の台北の各都市にも支店がございました。戦後、京都市(祇園)と広島市に支店を設立し中国大陸や台湾から引きあげて来られた各支店の方々に小売店の経営をお願いいたしました。
今日、日本の各地に存在する「辻利」はこの様な形で誕生した暖簾分け型と分家型、看板貸与型、共同出資型の四形態に分かれます。この様な過程を経て現在は日本茶のメーカーとして卸売業を中心に全国の茶専門店、菓子メーカー、商社等との取引を行っています。
(株)辻利一本店は、今後も辻利の本家として創業者辻利右衛門の心を忘れず、良質茶を販売してまいります。
※なお「辻利」は当社の所有する登録商標です。 |